名店「すみれ」を1カ月半で“逃亡” それでも味噌にこだわったラーメン店主の決意と覚悟
そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。
名店「すみれ」に18年勤めあげて独立した札幌味噌ラーメンの人気店の店主が愛するラーメンは、大好きなアメリカ雑貨に囲まれながらゆったりとした空間で店主が作る、地元に愛される優しい醤油ラーメンだった。
■ミスを連発し、厳しい修行を1カ月半で“逃亡”
札幌味噌ラーメンブームの火付け役といえば、1989年に札幌で生まれた「すみれ」だろう。店主の村中伸宜さん(62)が母・明子さんが64年に始めた「純連(すみれ)」での修行を経て独立。94年の新横浜ラーメン博物館(ラー博)への出店をきっかけに人気は全国区に。今やカップ麺やコンビニエンスストアのチルド麺などでもおなじみになった。
その「すみれ」の弟子が2019年、東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅近くにオープンした店がある。札幌味噌ラーメン「三ん寅(さんとら)」。卓越した技術で香ばしく焼かれた味噌の濃厚なスープが特徴だ。
店主の菅原章之さん(46)はラーメンの食べ歩きをする中で「すみれ」の味に惚れ込み、27歳で見習いとして業界に飛び込んだ。その後、「すみれ」を18年も支え、本店の店長を始め、各地の店舗展開にも携わってきた。
だが、18年の修業でラーメンの作り方を教えてもらったことはなかった。「ラーメン作りは見て覚えろ」というのが「すみれ」イズム。かつて寿司屋で修行していた社長の伸宜さんが、寿司の握り方を目で見て覚えてきたことも影響しているという。
「毎日出勤時間より2時間以上早く来て、仕込みを終わらせてから厨房でラーメン作りの練習をしていました。やらないとどんどん置いていかれてしまうんです。続かなくて辞めていく人もたくさんいましたね」(菅原さん)
従業員たちは皆「すみれ」の味に惚れて入ってきたファンの集団だった。仕事に対する熱量がとにかく大きく、皆必死で食らいついていた。やれと言われているわけではないがやるしかない。やる気は態度で見せるしかない。そんな状態だったという。
菅原さんは入社してラー博店に配属。仕込みを一人でこなし、毎日朝から閉店まで行列が絶えなかった。ベテランの先輩たちの足を引っ張らないように頑張ったが、全くついていけずミスを連発。自信を無くしていた。そして、1カ月半が経ったある日、黙って店を逃げ出した。数日後頭を丸めて謝りに行くと、伸宜さんが出てきてこう言った。
「逃げたいのはお前だけじゃないんだぞ。俺だって逃げたい時はあるんだ。まぁ、戻ってきてくれてよかったわ」
そう笑いながら、菅原さんの背中をポンと押してくれたという。この先はもう、社長を裏切ってガッカリさせるようなことはしないと、ここで一人前になることを決意した。
「すみれ」の味噌に惚れ込んだ菅原さんは、「三ん寅」でも味噌をメインに打ち出している。だが、都内に味噌ラーメンをメインとするお店は意外と少ない。東京では醤油ラーメンが圧倒的に多い。この20年ほどで豚骨ラーメンは増えたものの、味噌ラーメンはブーム化する気配がない。その理由を菅原さんはこう見ている。
「味噌は人気もあるしファンも多くいますが、ちゃんと作ろうとするとかなり大変。似たようなものは簡単に作れますが、“香り”がなかなか出ないんです」
「三ん寅」で菅原さんがこだわるのは、味噌の香ばしさだ。中華鍋で味噌とスープを焼きながら作るが、焼きすぎたり火を入れすぎたりすると、香りが飛んでエグミが出る。逆に焼きが甘いと香りやコク、ビター感が出ず、しょっぱさが際立ってしまう。加減を数字で測ることはできず、五感をフルに使い、おたまから手に伝わる感触で判断して仕上げているという。この絶妙な加減は熟練の技の成すものである。
更新 2020/5/3 12:00 AERA
https://search.yahoo.co.jp/
でも入店してすぐレシピ渡して作り方おしえたら
味だけ盗んで、すぐ店辞めるだろ
結局、そういうことかもね
独立しても本家に上納金を納めるシステムがあるのならともかく、一年前まで他人だった縁の薄い人間に企業秘密を持ち出されて出店されたら自分の首が絞まってしまう
自分の下で長く働いて家族みたいになった人間じゃなきゃ、味を受け継がせるのはバカバカしいかもね
そうするしかない場合もあるけどこの店に18年もいたってムダを極めてるよな…
単にどう教えていいのか分からないだけだろう
<!– Generated by まとめくす (http://2mtmex.com/) –>
Source: メシニュース
名店「すみれ」を1カ月半で“逃亡” それでも味噌にこだわったラーメン店主の決意と覚悟